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名古屋地方裁判所岡崎支部 昭和63年(ワ)392号 判決 1993年5月27日

亡兼子金作遺言執行者兼子ハツエ承継人

原告

初鹿野正

右訴訟代理人弁護士

楠田堯爾

加藤知明

田中穣

佐尾重久

被告

兼子和江

右訴訟代理人弁護士

佐野公信

蜂須賀憲男

永冨史子

松下泰三

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の土地について、名古屋法務局豊田支局昭和六三年九月一三日受付第三二二九五号所有権移転登記の、別紙物件目録(二)記載の土地について、同法務局鳴海出張所同日受付第二〇五九三号所有権移転登記の、各抹消登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当時者の主張

一  請求原因

1  訴外亡兼子金作(以下「訴外金作)という。)は、別紙物件目録(一)(二)記載の土地(以下本件(一)(二)土地」という。)を所有していた。

2  訴外金作は、名古屋法務局所属公証人S作成の昭和五八年三月八日付遺言公正証書により、「訴外金作の財産全部を次女である被告に相続させる。遺言執行者として弁護士佐野公信を指定する。」旨の遺言(以下「昭和五八年遺言」という。」をした。

3  訴外金作の妻である訴外亡兼子ハツエ(以下「訴外ハツエ」という。)、長男である訴外兼子良雄(以下「訴外良雄」という。)外五名は、昭和五八年一〇月二一日、名古屋家庭裁判所岡崎支部に訴外金作の禁治産宣告を申し立て、これに基づき、同裁判所は昭和五九年四月二七日訴外金作の禁治産宣告の審判をし、同審判は同年七月一九日確定した。

4(一)  訴外金作は、名古屋法務局所属公証人N(以下「N公証人」という。)作成の昭和五九年一一月一二日付遺言公正証書(以下「本件公正証書」という。)により、「訴外金作の財産全部を訴外ハツエに相続させる。遺言執行者として訴外ハツエを指定する。」旨の遺言(以下「本件遺言」という。)をした。

(二)  本件遺言には医師長坂顕雄(以下「長坂医師」という。)、同山本纊子(以下「山本医師」という。)の両名が立ち合い、右両名は、「訴外金作が本件遺言をする時に心神喪失の状況になかったことを認める。」旨を本件公正証書に付記(以下「本件付記」という。)し、これに署名捺印した。

5  昭和五八年遺言は、これより後の本件遺言と全面的に抵触するから、取り消されたものとみなされる。

6  訴外金作は昭和六三年九月一三日死亡した。

7  被告は、昭和五八年公正証書に基づき、本件(一)土地について名古屋法務局豊田支局昭和六三年九月一三日受付第三二二九五号をもって、本件(二)土地について同法務局鳴海出張所同日受付第二〇五九三号をもって、いずれも同日相続を原因とする所有権移転登記(以下「本件移転登記」という。)を経由した。

8(一)  訴外ハツエは、本件遺言の遺言執行者として、昭和六三年一〇月六日、本件移転登記の抹消登記手続を求めるため本件訴訟を提起したが、同訴訟係属中の平成二年九月七日死亡した。

(二)  名古屋家庭裁判所岡崎支部は、利害関係人訴外良雄の申立てにより、平成二年一一月一四日、本件遺言の遺言執行者として原告を選任し、原告が本件訴訟を承継した。

よって、原告は、被告に対し、民法一〇一二条に基づき、本件(一)(二)土地について本件移転登記の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実は、4項を否認し、5項を争うが、その余は認める。

三  被告の主張・抗弁

1  本件遺言は、次のような昭和五八年遺言の経緯、訴外金作が禁治産宣告を受けるに至った精神障害の状況等に鑑みると、当時、訴外金作が本心に復していた状態でなされたものでなく、遺言能力もなかったことが明らかである。のみならず、本件遺言は、訴外良雄、同ハツエが相はかり、かかる訴外金作を人形のように操ってさせた遺言であるから無効である。

(一) 訴外金作は、禁治産宣告を受ける前までの約四〇年間にわたり、水道工事の仕事を続け、途中から株式会社兼子ポンプ工業所(現在商号ユタカノ工業株式会社、以下「兼子ポンプ」という。)を設立し、その社長として経営に当たっていたが、昭和四八年九月九日には、自己の後継者として被告及びその夫の訴外兼子勉(以下「訴外勉」という。)を指名した。そして、昭和五八年三月八日、財産全部を被告に相続させる旨の昭和五八年遺言をした。ところが、訴外金作は、昭和五九年一一月一二日、右遺言に反して財産全部を訴外ハツエに相続させる旨の本件遺言をした。本件遺言当時、訴外金作が正常な理解力、判断力及び意思能力を取り戻していたならば、昭和五八年遺言と矛盾する本件遺言のような異常を極めた遺言をするはずがない。

しかも、本件遺言当時、訴外ハツエは膠原病、糖尿病、高血圧により訴外金作と同じ大学病院に入院していたが、被告と訴外勉は兼子ポンプの経営に当たっていた。のみならず、被告と訴外勉は、訴外金作の昭和五八年九月から本件遺言までの入院費用をすべて支払っていた。右入院費用は、合計二〇〇万円を超えていたから、今後、訴外ハツエを含む両名の入院費用が膨大な金額に達することは容易に予測できた。ところが、本件遺言は、兼子ポンプの経営の実態や訴外金作、同ハツエの将来における入院費用等についての配慮は一切なく、了解不可能な遺言であるといわざるをえない。

つまり、訴外金作は、本件遺言当時、禁治産者として心神喪失の状況にあり、遺言能力もなかった。

(二) 訴外金作に対する前記禁治産宣告申立事件における鑑定人鈴木恒裕医師は、昭和五九年三月二一日付をもって作成の鑑定書(以下「鈴木鑑定」という。)において、「本人の現在の状態は小さな脳梗塞が多発したために痴呆の状態になっており、本人は綜合的にみずから判断して行為することは出来ない状態にあると考えられる。この状態は昭和五七年八月の発病以来少しずつ悪化しながら現在の状態に至っているものであり、今後の見通しは、悪化することはあっても著しい改善は望みがたいものと考えられる。」と判断している。すなわち、右鑑定人は、訴外金作の症状につき、多発性脳梗塞による痴呆の状態にあり、今後の見通しとして、悪化することはあっても著しい改善は望みがたい旨の判断をしている。

本件遺言は、鈴木鑑定より約八か月後のものであることからすれば、むしろ、訴外金作の症状は鈴木鑑定のように悪化しているはずであり、現に本件遺言前の訴外金作は、ぼーっとしているなど精神機能は十分でなく、条件反射的な応答をしているにすぎない状態であったから、本件遺言時に一時的であれ、訴外金作が本心に復したとは到底考えられない。

もともと痴呆は、医学上、種々の器官的疾患のために生じた後天性の回復不能な知能の欠陥状態とされている。六五才までの初老期痴呆であっても、痴呆は徐々に進行し、ともに末期には著しい精神的荒廃をきたすものである。訴外金作は、この痴呆のため禁治産宣告を受けたものであり、本件遺言当時まで右痴呆は進行していた。

よって、本件遺言時のみ、突如、精神機能障害が消失し、是非善悪の弁別ができて行動できるようになったとは、精神医学上も絶対にあり得ない。

(三) 訴外ハツエ及び長男の訴外良雄は、一〇数年に及ぶ訴外金作及び次女の被告らとの間の兼子ポンプの後継者をめぐる確執から、まず、訴外金作の禁治産宣告を申し立て、ついで、訴外金作の全財産を取得するため、前記のような症状の訴外金作を人形のように操り、本件遺言としての本件公正証書を作成させたものにほかならない。

2  本件公正証書は、次のとおり公証人法に違反して無効であるから、本件遺言もまた無効である。

(一) 公証人法三八条違反

訴外金作は、本件遺言当時禁治産者であったのに、原告が本件訴訟提起時に資格証明として提出の昭和六三年一〇月三日作成の本件公正証書謄本には医師が立ち会った旨の記載がなく、被告からその旨を指摘された後に提出の同年一〇月三一日作成の本件公正証書謄本には本件付記が存在している。

本件付記は右のように被告に指摘されて訴外金作の死亡後に加えられたものであり、本件公正証書は公証人法三八条所定の要件を充足せず、これに違反するから無効である。

(二) 公証人法三六条九号違反

本件遺言当時、訴外金作は禁治産者であったのに、本件公正証書にはその旨の記載がない。しかも、もともと本件公正証書に本件付記があったとしても、二名の医師は立会人であるから、公証人法三六条九号により、右両名を立ち会わせた旨及びその事由のほか、立会人の住所、職業、氏名及び年齢を公正証書に記載することが必要である。ところが、本件公正証書には右立会人を立ち合わせた旨及びその事由、立会人の年齢の記載がないから、無効というべきである。

(三) 公証人法三五条違反

仮にN公証人が本件公正証書作成時に訴外金作が禁治産者であることを知っていたならば、N公証人自身、訴外金作が本心に復していたかどうかを確認し、その点について立会医師との間で何らかのやりとりがあるのが普通である。そして、かかる確認ないし立会医師とのやりとりは、公証人法三五条に基づき本件公正証書に記載する必要があるというべきであるが、本件公正証書には記載が全くない。したがって、本件公正証書は公証人法三五条に違反し無効というべきである。

四  被告の主張・抗弁に対する認否

1  被告の主張・抗弁1は否認する。

(一) 同(一)事実のうち、前段は、訴外金作が本件遺言をするはずがないとの点は否認し、その余は認め、後段は、本件遺言当時、訴外ハツエが糖尿病などのため訴外金作と同じ大学病院に入院していたこと、被告が訴外金作の右入院費を負担していたことは認めるが、その余は否認する。

訴外良雄は、訴外金作が結婚に反対し、同訴外人と仕事上の意見が食い違ったことなどから、昭和四八年ごろ兼子ポンプをいったん退社した。しかし、その後、訴外良雄は、訴外金作から兼子ポンプに復帰するよう懇請されたため、これを聞き入れて復帰した。ところが、訴外良雄は、間もなく再び仕事のやり方をめぐって訴外金作と対立し、昭和五三年八月ごろ兼子ポンプを退社した。しかし、訴外金作は、昭和五六年八月ごろ、再度訴外良雄に対し兼子ポンプへの復帰を懇請し、訴外良雄も再度の復帰を承諾した。そのころ、被告と訴外勉は訴外金作と喧嘩して小牧方面に出て行った。しかし、訴外勉は、昭和五七年三月ころから兼子ポンプの仕事をするようになった。訴外金作は、昭和五七年八月ころ脳梗塞発作を起こして第一回目の入院をし、訴外ハツエは、看病のため終日訴外金作に付き添っていた。入院中の訴外金作は、無気力、時と所に対する失見当、失書、失算、記憶記銘力の障害、無感動の状態にあった。被告と訴外勉は、これを奇貨として、訴外金作の本宅に家財道具を運び込んで生活するようになり、かつ、訴外金作が管理していた金庫の鍵、実印、権利証、通帳など兼子ポンプ及び訴外金作個人のあらゆる財産を取り込んでしまい、事実上、訴外勉が兼子ポンプの社長のように振る舞うようになった。訴外金作は、昭和五七年一二月二一日前記症状が多少改善されて退院したものの、ほとんど寝ている有様で仕事ができる状況になく、せいぜい散歩をしテレビを見ている程度であった。昭和五八年遺言は、このような状態の下で医師の立会もないまま行なわれたのであるから、被告と訴外勉の主導によるものである。

訴外金作は、昭和五八年九月二六日、心不全と再度の脳梗塞発作で第二回目の入院をし、再び訴外ハツエが付き添った。訴外金作は、しばらくはほとんど物事を理解できなかったが、昭和五九年春ごろから次第に是非弁別能力を回復し、折に触れて、被告と訴外勉の前記財産取込行為を激怒するようになった。訴外金作は、このような被告と訴外勉に対する怒り及び二回にわたる自己の入院期間中に付添看護してくれた訴外ハツエに対する感謝の念から自発的に本件遺言をした。

訴外ハツエは、前記のように被告と訴外勉が訴外金作の財産を事実上支配していたため、入院費用を支払うことができなかった。

(二) 同(二)事実のうち、鈴木鑑定に被告主張のような記載があることは認めるが、その余は否認する。

本件遺言当時、訴外金作が遺言能力を有していたことは本件付記からも疑いがない。訴外金作は、前記のように第二回目の入院をし、しばらくはほとんど物事を理解できなかったが、昭和五九年春ごろから次第に是非弁別能力を回復していた。そして、本件遺言前の昭和五九年一〇月二二日ころから簡単な質問に正しく応答をし、本件遺言後の同年一一月一七日には自らの意思で適切な指示をするなど理解力、判断力はほぼ常人の精神能力を示していた。本件遺言当時も、右一七日と同様の精神状態にあった。こういう精神状態は、意識清明に帰する以外の何ものでもなく、痴呆症状の精神状態が消失していたのであるから、本件遺言当時、訴外金作は正常な判断ができ得たし、心神喪失の状態になかったことが明らかである。

(三) 同(三)の事実は否認する。

2  被告の主張・抗弁2は争う。

(一) 同(一)事実のうち前段は認めるが、その余は否認する。

本件公正証書の原本にはもともと本件付記が存在していたが、昭和六三年一〇月三日作成の本件公正証書謄本は、たまたま公証人役場の書記が誤ってその部分を欠落させたまま作成したものであり、単純な事務手続上のミスにすぎない。

(二) 同(二)事実のうち、訴外金作が本件遺言当時禁治産者であったのに、本件公正証書にはその旨の記載がなく、また、医師を立ち会わせた旨及びその事由、立会人の年齢の記載がないことは認めるが、その余は争う。

公証人法三六条九号は同法三〇条、三四条と関連する規定であるから、同号所定の立会人とは、右規定との関連から当然に同法三〇条の立会人(必要的立会人及び嘱託人の申立てによる立会人)に限定される。したがって、民法九七三条所定の立会医師は、公証人法三六条九号所定の立会人には含まれず、立会人を立会わせた旨、その事由、立会人の年齢を公正証書に記載する必要はない。

仮に、立会医師が右立会人に含まれるとしても、立会人を立会わせた旨、その事由、年齢は、法律行為に関する事項ではなく、禁治産者に関して民法が記載を要求しているものでもないので、その記載を欠いても公正証書の効力に何ら影響を与えるものではない。

(三) 同(三)は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因について

1  請求原因1項ないし3項の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  請求原因4項及び5項について判断する。

(一)  証拠(<書証番号略>、証人N、同長坂顕雄、同山本纊子、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

原告の弁護士初鹿野正及び原告代理人である弁護士加藤知明(以下「加藤弁護士」という。)は、本件遺言日の数日前に、N公証人に対し訴外金作の遺言について公正証書の作成を依頼し、その際、遺言の趣旨及び訴外金作が禁治産者である旨を伝えた。そこで、N公証人は、備え付けの遺言公正証書用紙に、あらかじめ右遺言の趣旨のほか、遺言者、証人の住所、職業、氏名及び生年月日等をタイプで記入し、右作成の準備をした。また、加藤弁護士らは、そのころ、訴外金作の入院先である藤田学園保健衛生大学付属病院(以下「大学病院」という。)の主治医の長坂医師に対し、山本医師と共に、本件公正証書による本件遺言について立会を依頼し、その承諾を得た。かくて、N公証人は、本件遺言につき、昭和五九年一一月一二日午前一一時ころから午後零時ごろまでの約一時間をかけ、大学病院一―八病棟八三〇号室の訴外金作の病室において、証人として原告及び加藤弁護士の、民法九七三条所定の医師として長坂医師及び山本医師の各立会のもとに、本件公正証書を作成した。その際、訴外金作は、「その財産全部を訴外ハツエに相続させる。遺言執行者として訴外ハツエを指定する。」旨の本件遺言をした。N公証人は、訴外金作の遺言が前記のようにあらかじめ準備していた内容と同一であることを確認し、かつ、長坂医師及び山本医師から訴外金作が右遺言時に心神喪失の状況になかった旨も確認したので、これを読み聞かせた上、遺言者としての訴外金作と証人としての原告及び加藤弁護士にそれぞれ署名捺印させ、自らも本件公正証書が民法九六九条の方式に従ったものであることを確認し、その旨を記載して署名捺印した。さらに、これに続けて本件付記に長坂医師及び山本医師をしてそれぞれ住所と職業として医師と記載させて署名捺印させた。かくて、本件遺言としての本件公正証書が作成された。

(二)  被告の主張・抗弁1について

被告は、昭和五八年遺言の経緯、訴外金作が禁治産宣告を受けるに至った精神機能障害の状況等に鑑みると、本件遺言当時、訴外金作は本心に復していた状態になく、遺言能力もなかった旨主張する。

(1) 訴外金作が、禁治産宣告を受ける前までの約四〇年間にわたり水道工事の仕事を続け、途中から兼子ポンプを設立し、その社長として経営に当たっていたが、昭和四八年九月九日には自己の後継者として被告及び訴外勉を指名したこと、そして、訴外金作が昭和五八年三月八日に昭和五八年遺言をしたのに、再び昭和五九年一一月一二日にこれと異なる本件遺言をしたこと、本件遺言当時、訴外ハツエが糖尿病などのため訴外金作と同じ大学病院に入院していたこと、被告が訴外金作の右入院費用を負担していたこと、鈴木鑑定は、昭和五九年三月当時の訴外金作の症状につき、「本人の現在の状態は小さな脳梗塞が多発したために痴呆の状態になっており、本人は綜合的に自ら判断して行為することは出来ない状態にあると考えられる。この状態は昭和五七年八月の発病以来少しずつ悪化しながら現在の状態に至っているものであり、今後の見通しは、悪化することはあっても著しい改善は望みがたいものと考えられる。」と判断したことは、いずれも当事者間に争いがない。

(2) そして、証拠(<書証番号略>、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

訴外金作(大正七年一月五日生)は、粘り強い頑固一徹な性格で、頭の切れる努力家であったが、押しも強く、家庭内でも家族に命令的で強引な点があった。そして、金銭はすべて自分が管理し、妻の訴外ハツエ(大正一一年一一月八日生)に自由になる金銭を持たせることもなかった。その上、女ぐせが悪かったため、訴外ハツエとの夫婦仲はあまり良くなかった。訴外金作は、昭和五六年一一月ごろ糖尿病と診断され、次第に痩せて糖尿病性の白内障にかかり、昭和五七年二月ごろ、両眼の手術を受けた。同手術後、ひどくひがんだり疑い深くなった上、怒りっぽくなった。そして、同年八月九日には、多発性脳梗塞のため、大学病院に入院し、治療を受けるに至った。入院当時は、無気力でぼんやりしていて、自分がどこにいるのか、今がいつであるかも分からず(失見当識)、字も書けず(失書)、計算もできず(失算)、色も分からなくなって、物忘れしやすい状況にあった。しかしながら、その後、入院治療の結果、無感動の表情は残っていたが、多少症状も改善し、日時なども言えるようになって、自発性も出てきたので、同年一二月二一日、同病院を退院し、引き続き昭和五八年九月ごろまで通院治療を受けていた。訴外金作は、右通院中の昭和五八年三月八日前記のように昭和五八年遺言をした。

訴外金作は、右のように大学病院を退院後も通院治療を続けていたが、昭和五八年九月一九日心不全のため再び同病院に入院した。訴外金作は、右心不全を機に脳梗塞の諸症状が悪化し、総合的判断力の著しい低下及び痴呆を示し、昭和五九年一月一〇日ごろまで傾眠傾向が続き、大小便失禁が目立っていた。しかし、同年二月二三日には意識が混濁していたものの、書字が以前に比べて上手になっていた。

昭和五九年三月当時の症状は、記銘力が著しく劣え、新しいことの記憶が困難であるのみならず、昔の記憶もかなり混乱し、物事を理解した上で行動することはほとんどできなかった。自発性の欠如が著しく、すべてに無関心で、何かやらせるといやがるということはなく、素直にいうことを聞く状態であった。毎日他の病棟へリハビリテーションに出かけていったが、それ以外は終日呆然として無表情にベッドの上で口も聞かずに過ごすか眠っていて、話しかけなければ一日でも黙っていたし、食事も食べさせなければ催促するわけでもなく、また排便についておむつを付けていた。しかし、具合のいい時は応答もはっきりし、かなりのことも思い出せたし、トイレもたまには自分から言い出して行くことがあった。自分の生年月日、自宅の所在地、終戦の年などは正確に答えることができたし、簡単な暗算、三桁の数字の逆唱も可能であった。

鈴木鑑定は、右のような昭和五九年三月当時の訴外金作の症状を検討の上、前記のように判断した。そして、名古屋家庭裁判所岡崎支部は、訴外金作が鈴木鑑定のような症状にあることなどを認定し、請求原因3項のとおり禁治産宣告の審判をした。

(3) しかしながら、証拠(<書証番号略>、証人長坂顕雄、同山本纊子、鑑定の結果、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

① 痴呆とは、一度、正常に発育した大脳に病変を生じたため、場所、時間、周囲の状況を間違える見当識障害や、領解、計算、学習、記銘力、記憶が悪くなるといった諸症状が現われ、かつ、回復不可能な状態にあるものをいう。痴呆を示すもっとも代表的な病気はアルツハイマー型老年痴呆であり、大体七〇歳を越えて徐々に発病し、経過中の一時的回復は望めず絶えず進行するのに対し、脳血液循環障害性脳梗塞によるいわゆる多硬塞性痴呆は、六〇歳前後から発病し、脳梗塞発生後にも精神症状はある程度回復するのを特徴とする。ただ、多梗塞性痴呆の場合でも脳梗塞を繰り返すごとに、痴呆は階段状に悪化する。また多硬塞性痴呆における痴呆は、いわゆるまだら痴呆と言われ、脳動脈の血行障害によって起こる。そして、病巣の部位と大小によって症状にかなりの相違はあるものの、知能の一部がまだら状に障害されることが特徴であって、知能が保たれている部分があり、軽度であれば全人格が犯されることはない。

② 訴外金作の第一回目の脳梗塞発作以降の前記症状は、多梗塞性痴呆における痴呆としてのまだら痴呆に当たる。そして、訴外金作の右症状は、昭和五九年二月二三日には意識が混濁していたものの、書字が以前より上手になっていたことからすると、第一回目の脳梗塞後に出現していた失書と無感動は意識障害の改善とともに消失したことを示しているといえる。また、第二回目の脳梗塞発作以来認められていた失書、無感動、目立った大小便失禁も、意識障害に由来した回復可能な一過性の症状と認められる。

よって、訴外金作が第二回目の脳梗塞発作後に示した諸症状のうち、一時的な意識障害が改善した後にも引き続き残存し、目立った症状は、失見当識、記憶及び記銘力障害だけだったと判断される。そして、これら三症状は、脳のCT検査所見において、記憶機能と密接に関係する神経線維が通る視床背内側核と視床前核が損傷を受けていることと関係する。失見当識と記憶障害は、それに相当する脳の局所の損傷に由来するため、発病以来死に至るまで消えることなく、訴外金作の精神症状の基本として持続した。しかし、これらの症状も、日によりまた一日の中でも時刻によって良くなったり悪くなっていたし、前記損傷が大脳の一側に限られており、また損傷も不完全な可能性もあったので、記憶機能の完全喪失には至っていなかった。したがって、訴外金作は、昭和五九年九月八日、三人の孫の名を正確に思い出すことができ、昭和六〇年一月五日には、孫を見て「背が高くなったな。」と言ったりしている。そして、昭和五九年一〇月二一日、月日を質問されて「分からん。」と答えていたのに、同月二三日ごろからは簡単な会話とはいえ、看護婦の質問を理解して正しく返答し、同年一一月一七日には、周囲の人の話をよく理解して適切な指示さえ与え、今日が何月何日であると正確に答えている。このようなわけで、訴外金作の精神症状は、昭和五八年九月の第二回目の脳梗塞発作から昭和五九年一一月一七日までの間、日によってかなり悪化と好転の波を繰り返し変動していたといえる。

③ 訴外金作の頭部CT検査所見では、昭和五七年八月九日に認められた脳病変が、第二回目の脳梗塞発作を経て次第に進行し、昭和五九年二月六日には視床萎縮と右前頭眼窩面に広い低吸収域が広がり、同年一〇月一日には新しく右視床内側核に小梗塞が出現し、以前からあった各病変がさらに拡大していた。しかし、その後同年一一月一七日には前記のとおり良好な知的能力を示していた。したがって、記憶と記銘力の障害に関係する視床背内側核と視床前核以外の病変は痴呆を悪化させたとは考え難い。

④ 鈴木鑑定は、右のような訴外金作の一時的で回復可能な意識障害による減弱した精神状態を、誤って「悪化することはあっても、著しい改善は望み難いもの」、つまり痴呆の増悪と判断したものにほかならない。しかし、訴外金作の痴呆様症状は、知能全体が崩壊するアルツハイマー型老年痴呆とは異なったものであった。前記頭部CT検査所見からは多梗塞性痴呆の疑いはあるが、多梗塞性痴呆の場合、前記のように知能が部分的に障害されるものの、人格が保たれるまだら痴呆を特徴とし、訴外金作の場合もその特徴を示していた。したがって、意識状態の良いときなら人格はよく保たれ、領解や自主的判断が可能となる。結局、金作の痴呆様症状の主たる原因は、内科的疾患による変動する意識障害にあった。

⑤ 山本医師は、神経内科を専門とし、訴外金作が前記第二回目の脳梗塞発作以来、その症状を継続して診察してきた。山本医師は、訴外金作の症状について、日によって悪い状態のときと良い状態のときとがあり、変動していると診断していたが、本件遺言の数日前からは良い状態にあったと判断していた。山本医師は、本件遺言の際、約一〇分間訴外金作に質問して応答を聴取し、その意識レベルが良好の状態にあって、遺言できるだけの意思能力があることを確認した。長坂医師は、内科を専門とするため、自らは発問しなかったものの、山本医師の発問とそれに対する訴外金作の応答を観察して、同様に遺言できるだけの意思能力があるものと確認した。そして、本件遺言及び本件公正証書が作成された際、両医師は、連名で「遺言作成の時点に於いて、本人は正常な判断が出来得たものと認める。」旨の診断書も作成した。同診断書は、本件公正証書の原本に添付されている。

(4)  以上の事実によれば、本件遺言は、訴外金作が本心に復した時になされたものと認められ、すなわち、前記認定のとおり、本件遺言当時、訴外金作が心神喪失の状況になかったことは明らかであり、もちろん、訴外金作が遺言能力を有していたことも明白である。

被告主張のように、訴外金作が自己経営の兼子ポンプの後継者として被告及び訴外勉を指名し、その後、昭和五八年遺言をしたのに、再びこれと異なる本件遺言をし、本件遺言当時、訴外ハツエが訴外金作と同じ大学病院に入院していたが、被告において訴外金作の右入院費を負担していたことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、しかも、本件遺言当時、訴外金作が禁治産者であっことも明らかであるけれども、これら事実だけでは右認定を左右するものではない。

よって、被告の前記主張は採用できない。

(三)  次に、被告は、本件遺言は、訴外ハツエ、同良雄が相はかり、訴外金作を人形のように操ってさせた遺言である旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

(四)  以上のとおりであるから、請求原因4項の事実は明らかである。

そうすると、本件遺言は、昭和五八年遺言の後の遺言としてその内容が相容れないものであることは明らかであるから、昭和五八年遺言は本件遺言により取り消されたものとみなされる。

3  請求原因6項ないし8項の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二被告の主張・抗弁2について

1  公証人法三八条違反

(一)  本件遺言当時、訴外金作が禁治産者であったこと、原告が本件訴訟提起時に資格証明として提出の昭和六三年一〇月三日作成の本件公正証書謄本には医師が立ち会った旨の記載がなく、被告からその旨指摘された後に提出の、同年一〇月三一日作成の本件公正証書謄本には本件付記が存在していたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  被告は、本件付記は、後日、本件公正証書に加えられたものであり、公証人法三八条に違反する旨主張する。

しかし、本件公正証書の原本には、もともと本件付記がされていたことは前記一の2(一)認定のとおりである。

そして、証拠(<書証番号略>、証人N)によれば、昭和六三年一〇月三日作成の本件公正証書謄本に本件付記が存在しないのは、その作成手続のミスによるものであること、すなわち、N公証人は、昭和六三年一〇月三日、訴外良雄の請求により本件公正証書謄本を作成するにあたり、公証人役場の書記が誤って本件公正証書原本のうち本件付記を記載の三枚目をコピーせず、この分が脱落していたのに、これに気付かないまま謄本として認証し作成したことによることが認められる。被告主張のように本件公正証書が公証人法三八条に違反したことを認めるに足る証拠はない。

2  公証人法三六条九号違反

(一)  本件遺言当時、訴外金作が禁治産者であったのに、本件公正証書にはその旨の記載がないこと、また、医師を立ち会わせた旨及びその事由、立会人の年齢の記載がないことは当事者間に争いがない。

(二)  被告は、本件公正証書には右記載がなく公証人法三六条九号に違反するから、本件公正証書は無効である旨主張する。

公証人法三六条九号所定の立会人は、同条項が一般的に公証人の作成する証書についての本旨外の記載事項を規定し、同規定の文言を限定的に解すべき規定もないことに鑑みると、同法三〇条所定の立会人のみならず、同条と同趣旨のもとに、所定の障害を有する公正証書作成の嘱託人を保護し、その作成が嘱託人の自由な意思に基づくことを確認するための民法九七三条所定の立会人もまた、これに含まれると解するのが相当である。

ところで、本件公正証書中に、これが民法九六九条の方式に従って作成したものである旨記載してN公証人が署名捺印した次に、、本件付記の記載とこれに長坂医師及び山本医師がそれぞれ住所と職業としての医師と明記して署名捺印をしていることは、前記一の2(一)認定のとおりである。

右事実によれば、本件公正証書には、確かに、訴外金作が禁治産者のため、民法九七三条により長坂医師及び山本医師を立ち会わせた旨の明確な記載はないけれども、本件付記文言及び右のような記載の体裁からすれば、右趣旨を記載したものと認めることができる。

もっとも、長坂医師及び山本医師の年齢の記載がないことは明らかであるが、その記載は、立会人としての住所、職業、氏名と共に立会人を特定するためのものと解されるから、右両医師の住所、職業、氏名の記載がある以上、その年齢の記載のみが欠けたことをもって、直ちに本件公正証書が無効ということはできない。

よって、被告の前記主張は採用できない。

3  公証人法三五条違反

公証人法三五条は、公証人が公正証書を作成するには、証書の本旨として嘱託人らが公証人の面前においてした陳述を録取し、併せてその実験方法、すなわちその陳述を聴取したことを記載し、さらに目撃した状況その他自ら実験した事実についてもこれを録取して記載すべきことを規定している。しかしながら、右陳述ないし目撃状況、実験事実は、すべてをそのまま記載する必要はなく、公正証書として効力を生ずるに充分にして必要な範囲の記載に止めて差し支えなく、右範囲に属しないときは記載を要しないものと解される。

そうすると、被告主張のように、N公証人と立会人としての医師との間で、本件遺言当時、禁治産者の訴外金作が本心に復していたかどうかを確認したことも、そのやりとりについても本件公正証書に記載がないからといって、直ちに公証人法三五条に違反するものとはいえない。

三結論

以上の次第で、被告の主張・抗弁は理由がなく、前記請求原因事実によれば本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官角田清 裁判官宗哲朗 裁判官竹野下喜彦は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官角田清)

別紙物件目録

(一)

① 豊田市上郷町与三壱参番壱

田 六七五平方メートル

② 同 所 壱四番壱

田 九六四平方メートル

③ 同 所 弐五番壱

田 四六八平方メートル

④ 同 所 弐五番弐

田 四九五平方メートル

⑤ 同 所 弐六番壱

田 九六四平方メートル

⑥ 同市同町二丁目弐参番五

雑種地 弐弐五平方メートル

⑦ 同市同町四丁目参番参

宅地 1324.59平方メートル

⑧ 同市同町五丁目壱七番六

雑種地 壱七七平方メートル

⑨ 同市同町御所名残壱〇四番

宅地 99.76平方メートル

⑩ 同 所 壱〇五番の壱

宅地 170.51平方メートル

⑪ 同市桝塚西町馬場四番壱

田 弐壱壱平方メートル

⑫ 同 所 四番弐

畑 四五六平方メートル

⑬ 同 所 四番参

田 参弐参平方メートル

⑭ 同市福受町宮裏壱弐番

畑 六壱壱平方メートル

(二)

① 豊明市新田町仲ノ割七四番の七

宅地 108.74平方メートル

② 同市沓掛町万場七番

田 壱八六弐平方メートル

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